「夢を追うなら、スタートアップ!」
そう信じていた。大企業の歯車として働く日々に辟易し、もっと社会にインパクトを与えたい、自分の力を試したい。そんな熱い想いを胸に、僕はスタートアップの世界へ飛び込んだ。SNSで輝かしい成功事例を目にするたび、「次は自分の番だ」と胸を膨らませた。しかし、その甘い幻想は、あっけなく打ち砕かれることになる。
僕が選んだのは、メディアで頻繁に取り上げられ、CEOがカリスマ的なリーダーとして祭り上げられていたA社だ。面接では「世界を変える」という壮大なビジョンに心底共感し、自分もその一翼を担えることに震えるほどの喜びを感じた。提示された給与は前職より少し下がったが、「未来への投資」だと言い聞かせ、迷わず入社を決めた。
最初の数ヶ月は、まさに熱狂だった。誰もがビジョンを語り、深夜まで議論し、まるで文化祭の準備のように楽しかった。だが、次第に異変が起き始める。プロジェクトは次々と変更され、目標は曖昧になり、経営陣の鶴の一声で全てがひっくり返る日常。「あれ?話が違うぞ…」と、僕の胸には小さな疑問が芽生え始めた。
そして、決定的な出来事が起きた。給与の遅延だ。最初は「資金繰りが一時的に…」と説明されたが、それが常態化していく。「こんなはずじゃなかった…」「なぜ、こんなに頑張っているのに報われないんだ…」。夜中に一人、明細を見つめながら、僕は何度も自問自答した。情熱は燃え尽き、残ったのは深い疲弊と、あの時、もっと深く調べていればという後悔だけだった。結局、僕は半年でA社を去ることになった。キャリアにはぽっかりと穴が開き、自己肯定感は地の底まで落ちていた。「もう、二度とこんな思いはしたくない…」。あの時の絶望感は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
僕のように、スタートアップの光の部分だけを見て飛び込み、痛い目に遭う人は少なくない。なぜなら、スタートアップ選びは、まるで「氷山の一角」を見ているようなものだからだ。水面上に見える華やかなビジョンや勢いのある広報だけを信じて飛び込むのは、水面下に隠れた巨大な氷塊(資金繰りの悪化、ワンマン経営、企業文化の不和)に気づかずに進む豪華客船のようだ。一度ぶつかれば、船(キャリア)全体が沈没する危険がある。
では、どうすればこの氷山を正確に把握し、安全な航路を選べるのだろうか。大切なのは、表面的な魅力だけでなく、専門のソナー(徹底的な調査と多角的な視点)を使って、水面下の巨大な構造と安定性を正確に把握することだ。
まず、財務状況の健全性は最重要だ。資金調達の履歴や投資家の顔ぶれを確認し、安易な資金調達に頼りすぎていないか、持続可能なビジネスモデルを持っているかを見極める必要がある。投資家が有名だからと安心するのではなく、その投資家が過去にどんなスタートアップに投資し、どうなったかを調べるのも有効だ。
次に、経営陣の質と組織文化。カリスマ性は魅力的だが、ワンマン経営はリスクが高い。意思決定のプロセスが透明か、多様な意見が尊重される文化があるかを見極めるべきだ。カジュアル面談やOB訪問で、現場の社員がどんな顔をしているか、どんな言葉で会社を語るかに耳を傾けてほしい。彼らの「本音」の中に、企業の真の姿が隠されている。
さらに、事業の成長性と持続可能性。市場規模はどうか、競合優位性はどこにあるのか、そして何よりも、そのビジネスモデルが本当に社会課題を解決し、収益を生み出せるのかを冷静に分析する。夢を語るだけでなく、具体的な戦略と実行力があるか、顧客は本当にそのサービスを求めているのかを深掘りするのだ。
スタートアップ転職は、確かに大きなチャンスを秘めている。しかし、その輝きに目を奪われ、リスクを見過ごせば、僕のように後悔の念に苛まれることになる。あなたのキャリアは、他人に委ねるものではない。情熱と同時に、冷静な分析力と疑う目を持つこと。それが、あなたの未来を切り拓く唯一の羅針盤となるだろう。夢を追うなら、賢く選ぶ。この教訓を、どうか忘れないでほしい。
